



アルベルト・ジャコメッティ《大きな女性立像Ⅱ》1960年
暗褐色の緑青を施したブロンズ
Susse Foundry(1961年鋳造、エディション1/6)
277 x 29 x 57.2 cm
Fondation Louis Vuitton, Paris
© Succession Alberto Giacometti / Adagp, Paris 2023. Photo: © Fondation Louis Vuitton / Marc Domage
このたびエスパス ルイ・ヴィトン大阪では、偉大な芸術家アルベルト・ジャコメッティの展覧会を開催いたします。本展は、フォンダシオン ルイ・ヴィトンが主催する「Hors-les-murs(壁を越えて)」プログラムの一環として開催されます。同プログラムは、東京、ミュンヘン、ヴェネツィア、北京、ソウル、大阪に設けられたエスパス ルイ・ヴィトンにおいてフォンダシオンの所蔵作品を展示する国際的なプロジェクトの開催を通じ、より多くの人々に作品に触れる機会を提供することを目指しています。
1901年にスイスに生まれたアルベルト・ジャコメッティは、1922年にフランスのパリに移り住みます。モンパルナス界隈に新たな拠点を見出してから1966年に亡くなるまでこの地で制作に取組み続けました。
シュルレアリストな作風がいち早く認知されて名声を獲得し、アンドレ・ブルトンやジョルジュ・バタイユ、アンドレ・マッソン、ミシェル・レリスといった時代の寵児と親交を築いたにも関わらず、ジャコメッティはこの作風とほどなく決別し、人物モデルを対象とした手法に回帰します。この孤高なる離脱で「ただ人間の頭像を主題に扱いたい」という決意を持ったジャコメッティは、創造の源泉に集中することを望み、芸術運動に所属することから遠ざかりました。その作品には、先史、古代エジプト、シュメール、古代ギリシアのアルカイック期といった各時代の芸術に対する深い造詣が映し出され、日々自身が対峙しているモデルとの関係性と、時代を超越した古代のモデルのフォルムが巧みに融合されています。
1935年以降、ジャコメッティは実在のモデルのみと向き合い、このスタイルが作品制作におけるただ1つの強迫的ともいえる主題となりました。これと並行してスケール感に着目したジャコメッティは、人物像がいかに空間に存在し、空間に影響を与えうるかを追求します。1950 年代に入ると、彫刻作品の身体が次第に細くなり、最終的に、不安定な存在の輪郭はこれ以上不可能な域まで削ぎ落とされるようになります。「(...)通りを歩く男の重量は無に等しく、彼が死んでいたり、意識がないとしても遥かに軽量です。身体のバランスは脚部で取られ、体重から解放された状態を獲得しています。これこそが、潜在的に再現したいと思っていたことでした。この軽さを独自のシルエットで表現したのです...」(1963年、ジャン・クレイによるインタビュー)見たままにモデルを形にできないという悶々とした想いの中、ジャコメッティはフォルムの究極的な単純化に辿り着きます。すると逆説的にこの独自のフォルムから人物の真の姿が立ち現れたのです。感情的な表現に留まらず、密度の濃い空間に作品が導入されることで点や線が表れるような、視覚的なアプローチも取入れています。ジャン・ジュネは、「ジャコメッティの彫刻作品の美は、この上なく遠くのものと、この上なく身近なものの間を絶えず行き来する様に立ち現れてくる。この行き来が永遠に続くため、ジャコメッティの彫刻作品はいわば動いている状態にある」と評しています。
エスパス ルイ・ヴィトン大阪における第3回目の展覧会となる本展では、フォンダシオンの所蔵コレクションからジャコメッティを象徴する7点の彫刻作品:《棒に支えられた頭部》 [Tête sur tige] (1947年)、《3人の歩く男たち》 [Trois hommes qui marchent](1948年)、《ヴェネツィアの女 III》 [Femme de Venise III] (1956年)、《大きな女性立像 II》 [Grande Femme II] (1960年)、《男の頭部》 [Têtes d’homme] (ロタール I)(Lotar I)、(ロタール II)(Lotar II)、(ロタール III)(Lotar III)(1964-1965年)を展示。
これらの傑作には、スイスを代表する芸術家ジャコメッティの才能が写し取られています。
フォンダシオン ルイ・ヴィトンについて
フォンダシオン ルイ・ヴィトンは現代アートとアーティスト、そしてそれらのインスピレーションの源となった重要な20世紀の作品に特化した芸術機関です。公益を担うフォンダシオンが所蔵するコレクションと主催する展覧会を通じ、幅広い多くの人々に興味を持っていただくことを目指しています。カナダ系アメリカ人の建築家フランク・ゲーリーが手掛けた建物は、既に21世紀を代表する建築物と捉えられており、芸術の発展に目を向けたフォンダシオンの独創的な取組みを体現しています。2014年10月の開館以来、800万人を超える来館者をフランス、そして世界各地から迎えてきました。
フォンダシオン ルイ・ヴィトンは、本機関にて実施される企画のみならず、他の財団や美術館を含む、民間および公共の施設や機関との連携においても、国際的な取組みを積極的に展開してきました。とりわけモスクワのプーシキン美術館とサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館(2016年の「Icons of Modern Art: The Shchukin Collection」展、2021年の「The Morozov Collection」展)やニューヨーク近代美術館(「Being Modern: MoMA in Paris」展)、ロンドンのコートールド美術研究所(「The Courtauld Collection. A Vision for Impressionism」展)などが挙げられます。また、フォンダシオンは、東京、ミュンヘン、ヴェネツィア、北京、ソウル、大阪に設けられたエスパス ルイ・ヴィトンにて開催される所蔵コレクションの展示を目的とした「Hors-les-murs(壁を越えて)」プログラムのアーティスティック・ディレクションを担っています。これらのスペースで開催される展覧会は無料で公開され、関連するさまざまな文化的コミュニケーションを通じてその活動をご紹介しています。
アルベルト・ジャコメッティ
1901年10月10日にスイスのボルゴノーヴォで生まれたアルベルト・ジャコメッティは、幼少時より画家であった父親から、ポスト印象派と象徴主義について学びます。1919年に中等教育の修了を待たずに学校を辞め、ジュネーヴの芸術大学に入学。1922年にフランスに居を移し、アカデミー・ド・ラ・グランド・ショミエールでヌードを習得し、アントワーヌ・ブールデルのもとで彫刻を学び、ルーヴル美術館にも頻繁に足を運びました。ポストキュビズムの作風に近い作品を手掛けた後に〔《カップル》 [Le couple] (1926年)、《女=スプーン》 [Femme Cuillère] (1927年)など〕、シュルレアリストのグループに与します。〔彫刻作品《サスペンディッド・ボール》 [Boule suspendue] (1930年)〕は、ジョアン・ミロやジャン・アルプの作品と並んでピエール画廊に展示され、ジャコメッティの転機となりました。1935年には前衛的な芸術グループから身を引き、実在のモデルに特化した作品制作に転換します。
第二次世界大戦下の1941年にスイスに戻ったジャコメッティは、後に妻となるアネット・アームと出逢います。アネットは、お気に入りのモデルの1人となります。戦後、これまでにない背が高く痩せ細った人物像の創作を開始。1950年代に入ると、ジャコメッティの名声が急激に高まりました。1956年には、フランス代表としてヴェネツィア・ビエンナーレに《ヴェネツィアの女》 [Femmes de Venise]を出品(1962年のビエンナーレ彫刻部門ではグランプリを獲得)。1965年、最終的にパリを後にする前に、ジャコメッティの最後のモデルとなった写真家エリ・ロタールの彫像を3体制作しています。
1966年1月11日、スイスのクールにある州立病院で死去。