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CURRENT EXHIBITION

SIMON HANTAÏ – FOLDING SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION

SEPTEMBER 28TH, 2023 – FEBRUARY 4TH, 2024

Simon Hantaï, Tabula, Meun (1975) - detail. © Archives Simon Hantaï / Adagp, Paris 2023.
Photo credits : © Primae / Louis Bourjac

シモン・アンタイは、母国ハンガリーのブダペスト美術学校の学生であった1948年に、フランス パリで学ぶための助成を政府から受けます。イタリアでの滞在を経て、翌年フランスに到着した彼は、実験的試みを通して、シエナ派やフィレンツェ派の絵画、そしてさらに抽象度の高い表現について理解を深めることになりました。シュルレアリスムの興隆も最適なタイミングで訪れ、彼の鮮烈で自由な発想を解き放ち、コラージュの拡大解釈に繋がりました。アンタイは、動物の骨やその他さまざまな素材を絵画に組み合わせ、作品の中で不穏な空気の漂うレリーフを作り出し、暗く、苦悩に満ちた図像を効果的に表現しました。シュルレアリスムに傾倒したこれらの日々は1953年の個展に実を結び、図録にはアンドレ・ブルトンが序文を寄せましたが、1955年にはフランスの作家ジャン・シュステルと連名で出版したテキスト『Une démolition au platane』(「プラトン- プラタナスの解体」の意。フランス語で「プラタナスの木」と「プラトン」をかけた語呂合わせになっている)において、シュルレアリスム運動の創始者であるブルトンの教条主義に反旗を翻しました。

抽象の持つ生命力を鮮やかに提示するジャクソン・ポロックの作品との出逢いは、アンタイが図像学的な定則に捉われない絵画表現について知るきっかけとなりました。引き算の手法である「スクレイピング」は、これまでにない新たな空間を再度掌握しようという姿勢が象徴されるもので、最初はパタフィジック(形而上学を超える領域を研究するための哲学)のフランス人作家ジャン= ピエール・ブリッセの性的・言語的妄想を援用し、次いで神秘主義的・典礼的著作に触発されました。謎に包まれた中世の哲学者 ブラバンのシゲルスへのオマージュとしてジョルジュ・マチューと1957年に行った短期間のコラボレーションや、何よりその翌年に制作した、文章を書いた上に小さなストロークで絵具を重ねる作業を繰り返し行った「écritures(筆記)」シリーズは、記憶のパリンプセスト(羊皮紙に書かれた字句を消し、新たに上書きし再利用された写本)に残された、痕跡としての記号についての重要な思索の産物です。彼の「pliage comme méthode(手法としての折り畳み)」は、キャンバスの表面に記号や形が埋もれ、出現するという、まさにその経験から生まれたものなのです。キャンバスを折り畳んだり、くしゃくしゃにしたりする手法を用いてアンタイは、偶然性をある程度回避しながら空白を埋めつつ、開いたときに絵具が付く部分とそうでない部分があるように調整していきました。自己生成する絵画は、神の子の顕現をなぞるものとなり、「Le mur (壁)」または「Manteaux de la Vierge(聖母マリアのマント)」として知られる最初期の折り畳み作品のシリーズは、この神学的側面を特に強調しています。1967年にアンタイは、1960年代に制作された4つのシリーズ作品全体を指して「Peintures mariales(聖母マリアの絵画)」と名付けました。それは、前述のシリーズに加えて、「La porte(扉)」または「Catamurons(カタミュロン)」シリーズ(1963-1964年)、「Maman! Maman!(ママ! ママ!)」または「La saucisse(ソーセージ)」シリーズ(1964-1965年)、そしてフランスのフォンテーヌブローの森にある小さな村にちなんで名付けられた「Meuns(ムン)」シリーズ(1967-1968年)を含む総称です。

アンタイは、1968年から1976年まで、「Études(習作)」、「Blancs(空白)」、「Tabulas(タビュラ)」といった作品シリーズにおいてプリアージュ(折り畳み)の手法を多様化させ、1979年にパリに移り住むまで継続しました。「Tabulas」(1980-1982年)の2つ目のシリーズの後、彼は「引退」を発表[しかし1984年に《Sans titre》(無題)を制作していることからも明らかなように、絵画制作を辞めることはありませんでした]。その後も1998年には「Laissées(落とし物)」展を開催、2001年にはデジタルプリント作品「Suaire(聖骸布)」シリーズを制作するなど、彼の絵画の前途を探る思案が継続していることを証明しました。

今回「Hors-les-murs(壁を越えて)」プログラムの一環としてエスパス ルイ・ヴィトン大阪のために特別に企画された本展は、パリのフォンダシオン ルイ・ヴィトンにて2022年に開催された「シモン・アンタイ生誕100周年記念展」と2019年の「シャルロット・ペリアンの新たな世界」展における巨大な《Tabula》の展示に続くものです。1960年代初頭の作品から、アンタイが自ら公の場から姿を消した1980年代のものまで、すべてフォンダシオン ルイ・ヴィトンの所蔵コレクションより、多彩な作品シリーズをご紹介いたします。

フォンダシオン ルイ・ヴィトンについて
フォンダシオン ルイ・ヴィトンは現代アートとアーティスト、そしてそれらのインスピレーションの源となった重要な20世紀の作品に特化した芸術機関です。公益を担うフォンダシオンが所蔵するコレクションと主催する展覧会を通じ、幅広い多くの人々に興味を持っていただくことを目指しています。カナダ系アメリカ人の建築家フランク・ゲーリーが手掛けたこの壮大な建物は、既に21世紀を代表する建築物と捉えられており、芸術の発展に目を向けたフォンダシオンの独創的な取組みを体現しています。2014年10月の開館以来、900万人を超える来館者をフランス、そして世界各地から迎えてきました。
フォンダシオン ルイ・ヴィトンは、本機関にて実施される企画のみならず、他の財団や美術館を含む、民間および公共の施設や機関との連携においても、国際的な取組みを積極的に展開してきました。とりわけモスクワのプーシキン美術館とサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館(2016年の「Icons of Modern Art. The Shchukin Collection」展、2021年の「The Morozov Collection」展)やニューヨーク近代美術館(「Being Modern: MoMA in Paris」展)、ロンドンのコートールド美術研究所(「The Courtauld Collection. A Vision for Impressionism」展)などが挙げられます。また、フォンダシオンは、東京、ミュンヘン、ヴェネツィア、北京、ソウル、大阪に設けられたエスパス ルイ・ヴィトンにて開催される所蔵コレクションの展示を目的とした「Hors-les-murs(壁を越えて)」プログラムのアーティスティック・ディレクションを担っています。これらのスペースで開催される展覧会は無料で公開され、関連するさまざまな文化的コミュニケーションを通じてその活動をご紹介しています。

ARTIST

Simon Hantaï

シモン・アンタイ

シモン・アンタイは1922年にハンガリーのビアで生まれ、2008年にパリで逝去しました。ブダペスト美術学校で学んだ後、1949年にパリへ移住し、シュルレアリスムの潮流に身を投じます。彼の作品群は、シュルレアリスムからアクションペインティング、そして抽象表現主義と、多様な表現の道を辿っています。1960年、アンタイは予め折り畳んだキャンバスを、さまざまな色を用いて「盲目的に」ペイントしました。そこからこの手法を絵画の各シリーズに適用していきますが、毎回異なるスタイルを試し、しばしば大規模なスケールで、形式的で独創的な構図を発展、復興させました。こうしてアンタイは、当代随一の色彩画家の1人としてその地位を築いたのです。当時、彼の作品はフランス美術界に広く知られ、意欲溢れる若手画家たちの誰しもに影響を与えました。その後は長期的に沈黙の期間が続き、1990年代の新たな作品シリーズ「Laissées(落とし物)」のように、時折発表する程度になりました。この作品は、自身が1980年代に制作した大きな《Tabula(タビュラ)》を切り刻み、その断片を抽出し、新たに独立した一作品となるよう仕上げたものです。

アンタイは、1982年にフランス代表としてヴェネツィア・ビエンナーレに出品するまで、定期的に作品を発表していました。その後、彼は自主的に表舞台から姿を消します。その後も制作は続けましたが、1997年にパリ市立近代美術館で開催された主要な寄贈作品紹介展のように、展示はごく僅かな機会に限られるようになりました。

アーティストの死から5年後の2013年、ポンピドゥー・センターは35年以上ぶりとなるアンタイの大規模展覧会を開催しました。2014年にはハンガリーのブダペストにあるルートヴィヒ美術館も個展を開催。最近では2021年にMoMAの「Touching the Void」展に、作品が出品されました。

彼の作品は、オルブライト=ノックス美術館(バッファロー、ニューヨーク)、ソロモン・R・グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)、MoMAニューヨーク近代美術館(ニューヨーク)、ナショナル・ギャラリー(ワシントンD.C.)など、米国の多数のパブリック・コレクションに収蔵されているほか、モントリオール現代美術館(カナダ)、ブダペスト国立西洋美術館(ハンガリー)、パリ市立近代美術館、ポンピドゥー・センター(パリ、フランス)にも所蔵されています。

ARTWORK

《Mariale m.a.4, Paris》

1960年
キャンバスに油彩
226.2 x 207 cm

© Archives Simon Hantaï / Adagp, Paris 2023
Photo credits: © Primae / David Bordes

《Mariale m.b.4, Paris》

1961年
キャンバスに油彩
260.5 x 200.5 cm

© Archives Simon Hantaï / Adagp, Paris 2023
Photo credits: © Primae / David Bordes

《Mariale m.d.4, Paris》

1962年
キャンバスに油彩
236 x 207 cm

© Archives Simon Hantaï / Adagp, Paris 2023
Photo credits: © Primae / Louis Bourjac

《Étude, Meun》

1969年
キャンバスに油彩
270.5 x 235 cm

© Archives Simon Hantaï / Adagp, Paris 2023
Photo credits: © Primae / Louis Bourjac

《Étude pour Pierre Reverdy》

1969年
キャンバスに油彩
242 x 210 cm

© Archives Simon Hantaï / Adagp, Paris 2023
Photo credits: © Primae / David Bordes

《Tabula, Meun》

1975年
折り畳まれたキャンバスにアクリル絵具
291 x 584 cm

© Archives Simon Hantaï / Adagp, Paris 2023
Photo credits: © Primae / Louis Bourjac

《Tabula》

1980年
折り畳まれたキャンバスにアクリル絵具
290 x 470 cm

© Archives Simon Hantaï / Adagp, Paris 2023
Photo credits: © Primae / Louis Bourjac

《Tabula》

1980年
折り畳まれたキャンバスにアクリル絵具
290 x 465 cm

© Archives Simon Hantaï / Adagp, Paris 2023
Photo credits: © Primae / Louis Bourjac

《Sans titre #503, Paris》

1984年
キャンバスにアクリル
301 x 451 cm

© Archives Simon Hantaï / Adagp, Paris 2023
Photo credits: © Fondation Louis Vuitton / Marc Domage

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