ENGLISH JAPANESE

PAST EXHIBITIONS

Traces of Disappearance

January 18th - April 13th 2014

Graphic by © Hideki Inaba, 2013

エスパス ルイ・ヴィトン東京
Traces of Disappearance(消失の痕跡)

エスパス ルイ・ヴィトン東京は、アンヌ&パトリック・ポワリエ、カスパー・コーヴィッツ、畠山直哉、袁廣鳴(ユェン・グァンミン)による『Traces of Disappearance(消失の痕跡)』展を開催します。

ミュリエル・ラディックとエヴァ・クラウスの2人のキュレーターによって企画された『Traces of Disappearance(消失の痕跡)』展は、観る者に儚く壊れやすい世界の現状について考えさせます。多種多様な表現メディア、芸術的手法、話法を用いることで、これらのアーティストたちとその作品が提起する数々の疑問は、今まさに消失しようとしているものを捉えるきっかけとなるでしょう。

エスパス ルイ・ヴィトン東京のために制作された作品群は、とりわけ儚さや時の流れという問題を提起します。人と同様、永遠ではなく、「時」という概念に縛られている人工物─今回登場するアーティストたちは、保存と変質・腐敗・消滅の相反を起点とし、哲学的概念、美術的な観点から「時」という概念にアプローチします。
「消失」に重きを置いたこれらの作品は、沈思黙考の願望を刺激します。また、ひとつのフロアで展開される作品群は、記録された集合的記憶と、記録されない集合的記憶(アンヌ&パトリック・ポワリエ『Soul of the World』)、「聖地」(カスパー・コーヴィッツ『The Sheer Size of It』)、理想の地(畠山直哉『Mont Ventoux』)、果てはデジタルメディアを用いて再現された人工的な自然界(袁廣鳴 『Disappearing Landscape-Reason to Be a Leaf』)を巡る旅へと来場者を誘います。

エスパス ルイ・ヴィトン東京は、時の流れというこの異色の探求にあたり、準備期間全体を通じて温かい継続したご支援をいただいた、キュレーターのミュリエル・ラディックおよびエヴァ・クラウス両氏、アーティスト各位、ならびに在日オーストリア大使館、在日フランス大使館、台北駐日経済文化代表処の皆様に厚く御礼申しあげます。

ARTISTS

©Louis Vuitton / Jérémie Souteyrat

畠山直哉

1958年、岩手県陸前高田市に生まれる。1997年には木村伊兵衛写真賞、2001年には毎日芸術賞を受賞。同じく2001年、ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館における『ファースト&スロー』展に参加。2011年に東京都写真美術館で開催された個展『ナチュラル・ストーリーズ』によって芸術選奨文部科学大臣賞を獲得。なお、同展はアムステルダムのハウス・マルセイユ写真美術館、次いでサンフランシスコ近代美術館(2012年)に巡回した。2012年のヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展では、建築家の伊東豊雄をコミッショナーとする日本館の展示『Architecture. Possible here? Home-for-All』に参加、重要な役目を果たした(なお、この日本館は「金獅子賞」を獲得)。『LIME WORKS』(青幻社、1996年、2008年)、『Underground』(メディアファクトリー、2000年)、『TERRILS』(Light Motiv、2011年)、『BLAST』(小学館、2013年)をはじめとする数々の写真集のほか、講演・講義集の『話す写真 見えないものに向かって』(小学館、2010年)も出版している。

©Louis Vuitton / Jérémie Souteyrat

カスパー・コーヴィッツ

1968年、オーストリアに生まれる。ウィーン応用美術大学で美術学修士号を取得。ロサンゼルス(米国カリフォルニア州)とベイルート(レバノン)を拠点に活動し、ベイルートではAUB(ベイルート・アメリカン大学)の助教授として教鞭も執っている。これまでにニューヨークのISCP(International Studio & Curatorial Program) 1998/2009など数回にわたり、アーティスト・イン・レジデンスを務めるとともに、ポロック・クラズナー財団助成金(2009年)など数々の賞を受賞し、助成金を勝ち取ってきた。彼の作品は、サーチ・ギャラリーでの個展『Body Language』(ロンドン、2013年)やMAK(オーストリア応用美術博物館)での『sunset:delayed』(ウィーン、2007年)など、欧州の数多くの展示会に展示された。上記の両展示施設は共に彼の作品を収蔵している。多岐にわたる作品群には、絵画、彫刻、インスタレーション、ランドアートが含まれる。風景に焦点を合わせ、自然と深く結び付きながら、彼は非伝統的な素材の探求を通じて、アイコニックなイメージの見直しを迫る。

©Louis Vuitton / Jérémie Souteyrat

アンヌ&パトリック・ポワリエ

2人はパリの国立装飾美術学校で学んだのち、ローマのヴィラ・メディチに滞在した(1967-1971)。1970年には、大阪万博のフランスパヴィリヨンにおける創作のために来日。帰国の途中で、アンコールワット遺跡を訪れたことが契機となり、「文明の儚さ」について考察を深めるようになる。『ドクメンタVI』(1971)以降、文学、哲学、歴史、考古学、建築にインスパイアされた要素が交錯する2人の作品は、国際的に評価され世界各地で紹介されてきた。 2人は40年間の共同制作の傍ら、多くの展覧会を開催している:ノイエ・ガレリー・ザムルング・ルードヴィヒ(アーヘン、1971)、ノイエ・ベルリナー・クンストフェライン(ベルリン、1977)、ジョルジュ・ポンピドゥー・センター(パリ、1978)、ニューヨーク近代美術館(ニューヨーク、1979)、フェスティバル・ドトンヌ(シャペル・ド・ラ・サルペトリエール、パリ、1983)、キエーザ・サン・カルポフォーロ(ミラノ、1984)、ウィーン近代美術館(ウィーン、1993)、ゲッティー・リサーチ・インスティチュート(ロサンゼルス、2001)。そして日本でも2度作品展を開催している:西武美術館(東京、1985)、ギャルリー・ドゥ・フランコニー青山(東京、1991)。 近年ではイタリアとフランスで数多くの庭園プロジェクトに取り組み、現在もイタリアのゴルゴンゾーラで大規模な庭園プロジェクトが進行している(『イル・ジャルディーノ・デッラ・メモーリア』)。

©Louis Vuitton / Jérémie Souteyrat

袁廣鳴(ユェン・グァンミン)

1965年台湾・台北に生まれる。袁廣鳴は、台湾におけるビデオアートのパイオニアである。1984年からビデオに取り組んできた袁廣鳴は、1997年にカールスルーエ公立造形大学でメディアアートの修士号を取得。現在は、国立台北芸術大学の新媒体芸術学系副教授を務めている。
ユェンはこれまで、下記のアジア・欧米各地の様々な展示会に招待参加してきた。第50回ヴェネツィア・ビエンナーレ(台湾パビリオン)での『Representing Taiwan』、サンフランシスコ近代美術館での『010101: Art in Technological Times』、日本のICCビエンナーレ(1997年)、中国の広州トリエンナーレ(2005年)、英国のリヴァプール・ビエンナーレ(2008年)、ニュージーランドのオークランド・トリエンナーレ(2004年)、シンガポール・ビエンナーレ(2008年)、台北ビエンナーレ(1998年、1996年、1992年)、韓国の光州ビエンナーレ(2002年)。
彼の作品は世界各国の公共および個人コレクションに収蔵されている。また、ユェンは台北市立美術館の収蔵品委員会、台北美術賞(台北美術奨)、台北県美術賞(台北県美奨)、ヴェネツィア・ビエンナーレ(台湾パビリオン)、パブリックアート、および米国のアジア・ソサエティ芸術賞の審査員も務めた。
作品においては、象徴的なメタファーを技術的メディアと組み合わせ、現代的な存在の有り方を雄弁に表現するとともに、人間の精神と意識を深く探る。

ARTWORKS

畠山直哉

Mont Ventoux, 2005/2013
(ヴァントゥ山)

タイプCプリント写真12枚のシリーズ
100 × 49 cm, フレーム 63 × 114 cm

Courtesy of the Artist
Printed with the support of
Espace Louis Vuitton Tokyo
©Louis Vuitton / Jérémie Souteyrat

「私は自分の向上を喜び、自分の不完全さを悲しみ、人の営みの常である移ろいやすさを嘆いた」

ペトラルカ著『モン・ヴァントゥ登頂記』(1336年)より

畠山直哉による12枚の写真は観る者に語りかけてきます。大地、空、光という、極めて具体的な地上の事物を主役とする物語です。光は「大地の表皮」を撫でるように触れます。母なる自然─ありのままの自然の美しさ─に私たちは畏敬の念を抱きます。
1336年にヴァントゥ山に登った人文主義者の詩人、ペトラルカにとって山は静かに眺めて想いを巡らす対象、極めて奇妙でありながら至福が感じられる場所でした。一方、ニーチェが滞在したことで知られるシルスマリア(スイス)を訪れたドイツの哲学者アドルノは、鋸刃のように切り立った山の姿を書き留めました。
畠山直哉によるモン・ヴァントゥの写真からは、剥き出しで荒々しく、様々な危険を秘めた崇高な高地のこの上ない美しさとともに、黙考と再び取り戻した安らぎが伝わって来ます。
登山とは、急峻な道だけが通じている高い地点を目指すこと、究極的には天や蒼穹に至ることです。これはスピリチュアルな境地への到達をも意味します。言い換えれば「我を離れて」自分を超越した視点(世阿弥が語る「離見(りけん)の見(けん)」)を追求することなのです。

カスパー・コーヴィッツ

The Sheer Size of It, 2013
(その大きさたるや)

プレキシガラスの上にキャンディ
直径 710 cm

Work with the support of
Espace Louis Vuitton Tokyo
©Louis Vuitton / Jérémie Souteyrat

「私は何度も世界を巡ってきた。しかし未だ私の興味を引くのは陳腐さだけだ」。クリス・マルケル(Chris Marker)監督『サン・ソレイユ』(Sans Soleil)より

「ユートピアには、「理想郷」と「どこにもない場所」という二通りの解釈が可能です。私はある日、通りに捨てられている宗教関係の印刷物を見つけました。そこには天国のいろいろなイラストが収められていました。私の心にふと思い浮かんだのは、ある宗派の本部で、無名のイラストレーターたちが部屋いっぱいに集まり、来世を一途に心に念じ描いているさまでした。芸術的な主張とは無縁に、楽園の「事実」をただひたすら解き明そうとしているのです。理想化された、風景における調和に満ちた共存についての陳腐な物語を。私がここで提示する楽園は、この印刷物に収められたいろいろな異なるイメージの寄せ集めなのです。

楽園を絵にするという選択を行うにあたっては、何の苦悩も実のところなかったと思います。何しろ、建物は米国の準郊外住宅地と同じ一般的な構造であり、描かれている人物は一般庶民の身なりをし、墓碑でさえ、米国の現代の葬儀場の「低価格モデル」なのです。その演出は、私たちの集合的無意識を構成しているイメージ群から成り立っているため、異様なほど馴染み深いものです。ライオンが羊を力強く抱きしめている図、そして、牧歌的な風景の前景には楽しい収穫を終えた核家族。想像力に対するこうした他愛ないアプローチには大いに愛着を感じます。私の場合、こうした問題はすべて、行うべき選択の苦悩につながります。

しかしよく見てみると、この「苦もない」図解においてさえ、楽園は、ユートピアの二重の意味を反映しています。ここに描かれた有り余るほどの生には有限性の影がつきまといます。生はそれに対立するもの、不満、不快感に打ち抜かれ、そこには人間という種を特徴づける題材である墓碑─「Et In Arcadia Ego(我(死神)はアルカディア(理想郷)にもある)」─が一基建っているのです。川にはヨット、すなわちレクリエーション用の舟があります。楽園でレクリエーション? 楽園はレクリエーション以外の何物でもないのではないのでしょうか?そこで収穫に励む人などいるのでしょうか?

私はこれらの「作品」の自分なりのモンタージュを、同様のほかの絵の諸要素で補いました。こうしたイラストの最良の源は、ネット上で見つけたある個人の手によるものでした。この人は、宗教画に描かれている人物の髪や腋の下の服のひだにズームインすることにより、悪魔的な面を暴き出すことを自分の務めにしていました。来世の理想的イメージやユートピア的イメージが、別のキッチュな消費対象物として立ち現れるのです。それゆえ、私の作品では素材にキャンディを選択しました。私の作品が果たす機能は、象徴的というよりむしろ指標的なものです。結局のところ、キャンディは、どこであろうと世界中の国々で育つ、あらゆる子供が理解する最初の通貨なのです。

イラストレーターたちの作品を別のフォーマットで異なる素材を用いて再構成するにあたり、それに取り組む過程で私が直面した具体的な選択と併せて考えてみるうち、無信心の自分にとって、楽園という主題は、その大きさと素材の点でグロテスクなものである必要があることを悟りました。制作過程は(その一時性ゆえに)不毛で、膨大な取り組みを反映する必要がありました。したがって風景は今や、それ特有の普遍的な平和と調和の言語から外れたイメージのみならず、最も重要なことに、その大きさと、10万個以上のキャンディが互いに融け込み合うなかでの素材分解のプロセスによって蝕まれます。 この作品の制作は私一人では不可能であり、ほとんどのアーティストが抱える典型的な財務的制約ゆえに、自分の身近なコミュニティに助けを仰ぎました。その結果、ロサンゼルスの近隣の人々が大挙して応援に駆けつけてくれました。友人たちがさらにそれぞれの友人を引き連れてきて、楽園のイメージ構築というこの一見終わりのなさそうな作業に協力してくれました。このことは今も、そしてこれから先も、このプロジェクトから私が持ち帰った最も朽ちることのない最も愛おしい記憶です」

カスパー・コーヴィッツ、ベイルートにて、2013年11月

アンヌ&パトリック・ポワリエ

The Soul of the World (“Anima mundi”)
(世界の魂)
2013/2014

スチール製の円錐形
直径 600 cm / 高さ 700 cm
生きている鳥を配した、生きている彫刻作品

Work with the support of
Espace Louis Vuitton Tokyo
©Louis Vuitton / Jérémie Souteyrat

世界の魂(アニマ・ムンディ)は危機に瀕しています…鳥たち、傷つきやすく繊細な生き物を収容した巨大な金属製の構造物。それは、危機的状況にある私たちのエコシステム、テクノロジーとスピードによって成り立つ超近代的なエリアと、静穏で瞑想に適したエリアが部分的に重なり合う私たちの都市環境を彷彿させます。アンヌ&パトリック・ポワリエは、今回の展示スペース─四方八方へと広がる東京という大都会に位置する、光あふれるエスパス ルイ・ヴィトン東京─の特徴を取り入れ、東京にふさわしい『記憶の円錐』を制作しました。それぞれ個人が持つ記憶の奥底へ、そして私たちの集団記憶の中へと続く繋がりを、私たちの一人一人に指し示します。

「大都会を見下ろす、光満ちたエスパス ルイ・ヴィトン東京の会場に足を踏み入れる。この空間にひとつの“魂”を与える…東京というこの巨大都市の真っただ中に宿る、あまりにも壊れやすい魂。
魂とは?それは、エスパス ルイ・ヴィトンという空間の中に作られたもう一つの空間に棲む、優美な鳥たちが与えてくれる魂である。
私たちは、鳥たちのために円錐形の“生息空間”を作った。フランスの哲学者、アンリ・ベルクソンが著作『物質と記憶』の記憶に関する章の中で、記憶概念のモデルとして提示している円錐形状である。
私たちは今回、この大きな“鳥籠”を、円錐の頂点が天を向くように置く…
そして床には、儚さ、記憶…これらの概念をめぐる言葉が記されている。
儚い記憶を象徴する赤い言葉…そして青い言葉は私たちにとっては忘却のメタファーである…
これらの紐は天井から張られており、その天井には、儚さ…記憶…これらの概念をめぐる言葉が記されている…
自然に発生してはすぐに消えてしまう、儚い音がこの空間の静けさを破る
=鳩の羽がこすれる音、羽ばたく音、ひそやかな鳩の歌声…
ここの空間そのものが、中央に置かれた鳥籠と一体化する…
小さくて…壊れそうな…鳥たち…すべてがこんなにも危うい…」

アンヌ&パトリック・ポワリエ

De Natura Rerum (物の本質について)
2013/2014

三連作品、転写、和紙
80 x 120 cm

Courtesy of the Artists
©Louis Vuitton / Jérémie Souteyrat

「ゆえに、全世界の本性は時間とともに変化する。時間は絶えず、一つの状態から次の状態へと移る」ルクレティウス、『万物の本質について』(V編)

紙を使っての圧写は、万物(彫刻、顔、生命のない物、人間…)の儚さを示します…考古学的な記録をとるようになって以来、アンヌ&パトリック・ポワリエは、時間が経過すれば消えてしまう痕跡を残すのに適した和紙を用いて型取り/プレスを実践してきました。それは、二人が歩き回った場所、見つけたかけらの、仮想的な写しなのです。そして、プレスされる媒体の紙は軽くて極めて傷つきやすく、いつかは消滅してしまいます。
拡大写真を元に紙に転写された葉は、葉脈をくっきりと浮かび上がらせます。葉を支える骨格であり、樹液を運ぶ葉脈は、命の「痕跡」そのものなのです。

ユェン・グァンミン

Disappearing Landscape - Reason to be a leaf
(消滅する風景 - 葉である理由)
2007/2013

ビデオ・インスタレーション
9分

Courtesy of the artist and TKG+,
Taipei and Beijing
Reedited with the support of
Espace Louis Vuitton Tokyo
©Louis Vuitton / Jérémie Souteyrat

「袁廣鳴は、『City Disqualified—Ximen District(「城市失格─西門町」)』において、都市からあらゆる動くもの、とりわけ人間と車を取り除くことによって特定のシーンに手を加えた。骨の折れる写真のコンピューター処理を行った撮影後の編集プロセスを通じて、都市としての意義を失った街は、実のところ、人間が取り除かれた街だった。
袁廣鳴は同様の手法を採用して、同じく『Disappearing Landscape(消滅する風景)』と題された新しい連作において、一見何の変哲もない小枝と葉を取り上げた。小枝と葉をまずスキャンしてから、撮影後の編集を通じて、すべての葉の葉脈を取り除くことで加工を加えた。都市の意義を失った街同様、葉は個性を取り除かれただけでなく、アイデンティティも奪い去られたが、視覚的・美的な美しさを今もなお保っている。こうした本来の文脈から外す手法は、かくして、何の遠近法的奥行きも示さない、平板化した均一性を生み出す。これは、現代のグローバル化した世界における我々の存在の有りようを隠喩的に反映している。
袁廣鳴は、現実にひねりを加えて、現実を怪しく、疑わしく、あるいは問題すらあるものと見なすことによって現実を疑問視することに常に熱心に目を向けてきた。彼によって再表現された小枝と葉の映像は、現代のメディアによって絶えず生み出される光景に対して人々の不信感を呼び覚ます役目も果たす」

ワン・ジャーチー(王嘉驥)

MOVIE

Making of "Traces of Disappearance" (5'51")
video: WEDOVIDEO
The Sheer Size of It by Kasper Kovitz
video: WEDOVIDEO

EVENT

Live performance / Direction Chai Siris, Ikebana Shuho, Sound Keiichiro Shibuya
A collaboration of le Pavillon Neuflize OBC / Palais de Tokyo and Ginkaku Jishôji in Kyoto
Coproduction Pavillon Neuflize OBC – Espace Louis Vuitton Tokyo
With the supports of Institut Français and Institut Français de Tokyo.

PHOTO GALLERY

page top
© ESPACE LOUIS VUITTON TOKYO TERMS AND CONDITIONS OF USE